こんにちは、本日は親子の関わりについて思うところを話してみます。
「毒親から離れましょう」という話は記事などでよく取り沙汰されますね。
私は、「自分の親は毒親って程でもないけど・・・関わるには気が重い時がある」と感じていました。
「100%黒の毒親でもないのに一人暮らししたいというのは、いけないことなのかなあ・・・」とも本気で考えていました。
そもそも「毒親」とは1989年に作られた言葉で「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指すそうです。(Wikipediaより)
どこからが「毒親」?
なるほど、ちょっと待って。誰目線で見て「子どもに害悪を及ぼす」と定義されるのか。
第三者から見て?それも確かだと思います。
暴力など物理的なものは一発アウトですね。
定義が難しい原因としては、親の無意識化にある子供を支配したい感情、自分の不安(例えば、愚痴を聞いてくれる相手がいなくなる不安、介護要員がいなくなる不安、金銭援助をしてくれる相手がいなくなる不安など)がベースとなっていることになかなか気づきにくいということです。
「子供を心配している」という表向きの美しい言葉で隠せてしまいますからね。
忘れてはいけないのは、「子供自身の目線で見て」ということだと考えます。
つまり、子供が親の無意識化にある意図を見抜き「重い、苦しい」と感じていたら離れてしまってよいのではと思います。
そもそも毒親かそうでないか、100% or 0% で白黒つけられるものではありません。
大体の毒疑惑のある親がグレーでしょう。
そもそも毒親と気づきにくいのでは
基本的に家族は閉ざされた一つの国のようなものでしょう。
その閉鎖的な空間で、そこ独自のルールに則って子供は育てられます。
友達の家庭ルールが自分の家と違いすぎてびっくりした~なんて話を聞きますが
人は育った環境で刷り込まれたことが、世間の常識として認識しますよね。
私は幼少期から失敗したことや怒られたことなど、弱みになることを話すと
母親と喧嘩をした時に、そのネタを出して馬鹿にされるということがあったので、だんだんと親に自分のことを話さなくなりました。
母親は過干渉で自分の常識を押し付けてくるタイプ、さらに私は親の意見に逆らうと罪悪感を感じるようになっていましたので、色々と押し付けられるのが嫌になったこともあり、開示しなくなったのだと思います。
一緒に生活している中どうしても伝えざるを得ないことについては、私が受けるダメージが少ないように嘘をついていました。
大学時代に男性とお付き合いをしていた時も、もちろん伏せていましたし
異性の友達含めて遊んだりするときも、「異性の」部分だけ徹底的に内緒にしていました。
「彼氏できたー」とすぐ親に報告する友人の行動が理解できませんでしたし、反対に何も親に報告しない私に友人が「なんで言わないの?何かあったらどうするの?」と説教垂れて(笑)きたこともあります。
この友人とのギャップがまさに育った環境下の常識の違いですよね。
友人になんで?と言われて、( ゚д゚)ポカーンとしていた覚えがありますし、「そのような大事なことを親に言わない私はいけないのかな」とダメ娘の烙印を押されたように感じていました。
無意識の「苦しい」を見逃さないで
前章で「親に開示しない」理由も書いてきましたが、最近まで「なぜ開示しないのか」分からないまま行動していました。
自分の心を傷つけられないための防衛本能として、無意識に従っていたのではないかなと思います。
このように無意識に感じている重さを見逃さないでください。
何について引っかかっているのか、深堀してみてください。
そうして親との関わりに行きついたのであれば、いくら薄めの毒だとしても離れる検討をして良いのではと思います。
あなた自体がどう感じているかを判断基準にしてください。
親子関係だからムズカシイ
毒親風味の親を持ち、傷つけられた部分を考えると恨めしく思ったこともありますが、子供は親を嫌いきれないのかな、と思います。
(毒親風味と濁しているところが、私の子供としての弱さを表していますね)
少なくとも私は母にも愛情を感じています。
親と絶縁することは、マウントを取ってきたり、エネルギーバンパイアのような友達・知り合いと縁を切ることよりハードルが高く、
私もそうでしたが親が毒になるような行為を自分にしてくる一方で、自分に愛情があることも分かっていたりするとなかなか離れることは難しいのではと感じます。
察するに、親>子供という勢力図になりがちですので、親が強固に主張すると子供はそれに従ってしまうケースが多いのではと思います。
刷り込まれた「考え」に気づいたら
育ってきた環境で植え付けられた「考え」は私たちのマインドに深く根付いていることも多いのではないかと思います。
私は母親から「顔が綺麗ではないので性格が暗く、美容整形をしなければ結婚できない」と言われ、目の二重手術をかなり強引に進められそうになりました。
私は母がちょっと何言っているか分からなかったですし、抵抗したい感情がわいてきたのでスルーしました。
(確かにアクティビティなど何も公開していなかったので、無個性で暗く見えたのかなと今なら思いますが。笑)
それ以外にも他人を判断するのに美醜を持ち出したりすることもあり、内心もやっとしながらも「綺麗でないと愛される価値がないのかも」という認識が根付いてしまっていたようで、恋愛を進めるにもその認識がよぎってしまうこともあります。
そのような「考え」に気づき、違和感を感じたら私は自分の中で否定をしてあげます。
そうすることで、少しづつ自分の中の認識を変えてあげることが良いのかなと思います。
無意識下にあるものに気づけただけでも良い兆候です(*’ω’*)
物理的に離れると、苦しさが緩和される
「実家を出たい」と言ったときに、母親の大反対にあったことは以前話しましたが、
今までで見たことないほど激高していました。
母が子に言ってはいけないことも言ってしまっていましたね。
「お前にできるわけない」「危ない」「お金に困って路頭に迷う」「家を出るのは結婚の時でいい」と言われましたが、無意識の意図としては「単純に寂しい」「いろいろな愚痴を言う相手を逃したくない」「実家にいる時に入れていたお金を逃したくない」「このまま実家に戻らず介護要員がいなくなったらどうしよう」あたりでしょう( ̄ー ̄)
その不安は「自分で何とかせえよ」と思いますし、それを私に押し付けてくるのは違いますね。
親という立場を利用して人をコントロールしようとするのは、本当にずるいと思いました。
しかも本音の理由を言わず、あくまでもこちらが悪いかのように激怒しているのですからね・・笑
むしろ子供の自立を喜んで、趣味でも見つけて父親と自分たちの人生を楽しんでくれたら私も本当に嬉しいのですが・・
強引に部屋を契約して一人暮らしを始めた後は、やはり生活を別にすると距離ができるので客観的に親を見ることができるようになりました。
たまに実家に帰ると「帰ってこい」と言われ罪悪感に駆られることもありました。
最近では全く罪悪感ないとは言いませんが「私の人生なんで、悪いね(^o^)丿」と思えるくらいまでになりました。
結び
少し重い話もしてしまい、申し訳ありません。。
ご両親と壮絶な経験をされた方がおられることは承知しておりますし、私の考えたことが生ぬるいと思われる方もいらっしゃると思います。
あくまでも私と親の関わり方を経て私が考えたことですので、少しでもご参考になれば幸いです^^
親から適度な距離を取った今思うことは、親を変えることはできないですし、自分の心を救うのは自分しかいないということです。
他人(親)を恨んでも仕方のないことですし、これからの人生を幸せに生きたいです。
自分の人生の決定権は自分にある、を忘れずにいたいと思います。
実家にいる時は、親との関わりに違和感を感じつつ「自分が今後どうしていきたいか、どうなりたいか」に向き合うことから逃げていたように感じます。
一人暮らしを始めることによって、実家という大船に乗っている状態から、大海に投げ出されたような感覚で、否応なく自分と向き合うこととなりました。
自分の考え方に軸ができたことにより、親とも対等に向き合い「どのような対応をしていくのか」できるようになりました。
勢いで飛び込んだ一人暮らし生活ですが、人間としても成長し確実に人生が好転しています。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。まゆでした!